「えっ?!嘘・・」ショックな事を聞きました。予約時の電話の声が御主人では無かったので、御主人はどうされているのかなあ?病院とかも行っていらっしゃったし・・」と思いながら何だか気になり、久々に伺いました。
そうしたら昨年の調度今頃、急性心不全でお亡くなりになられたんだそうでした。持病を持ってはいたがお元気で、お客さんを見送り普通にされていたのに突然だったそうです。
一昨年私は予約を入れ乍ら日にちを変更し、そして結局予定を変更しキャンセルしたのでした。御主人の優しさに甘えた部分もあったかも知れません。あの時の御主人の声を今でも覚えています「いいよ いいよお また来てねー」と。
御主人のお顔が函館の濁川温泉・新栄館の御主人と重なって上手く思い出せませんが、幾つかの思い出の会話を偲ばせて頂きたいと思います。
数年前、蓬莱館に初めて宿泊する日、私は富士駅のホームで身延線の乗り継ぎに失敗し、早川町の最終バスに間に合わなくなり、宿をキャンセルしないと仕方がない事になり電話を入れました。そうしたら「迎えに行くよ。折角来てくれるんだから」と言われ、下部温泉駅まで片道1時間以上の道のりを迎えに来て下さいました。以来御礼の気持ちで連泊した事もありました。
浴室に案内され温泉自慢「山から出た温泉がここへ着くまでにまろやかになってね。飲んでみてね。飲泉の許可が出ている温泉は少ないんだから」ロッカーの上には瓶が並びオレンジ色の湯の花が。パッと見ただけでは何か解らない様な、ちっちゃなみかんゼリーが溜っていた。
浴槽は1つだけど「これが家族で入るのにいいの。介護で入りに来る方がいるからね」と言われ、宿泊客が重なると「お互いで都合付けて入ってよ。どうする?」なんて、客同士に決めさせる呑気さ。
お料理も御主人が作られていて美味しかったな。息子さんが「後を継いでくれたらいいんだけどどうかなあ」と言われていたが、この鄙びた秘境温泉を若者が継ぐ事は難しいと言うより無理だろう。御親戚の方が後を継がれたそうだ。
部屋には宿泊ノートが置いてあり、そこには「30年ぶりに来たけど何も変わっていません」など古いリピーターの声が多く寄せられていた。現在の御主人も「閉めようかと思ったけどずっと来てくれてる方もいるから」と、蓬莱館を継いで行こうと思われたそうで、お一人で奮闘されていた。
2食付きだと1人泊で12000円程に値上がっていたので今回は素泊りにした。6700円程度。布団はセルフで敷く。部屋は以前泊まった時と同じ部屋だった。窓からは、立派な慶雲閣と廃館になっている廃屋の宿が対比の様に見えている。蓬莱館もかなり鄙びているが、当時はそこそこ立派な宿だったのではないだろうかと思ったりもする。
何年かぶりに宿の前に降り立つと、蓬莱館は以前にも増し活気なく古び、寂れきっている様な侘しさを感じた。今思うと、御主人を失ったからだったのだろうか・・この宿は。
驚いた事に温泉が全く「夏のぬる湯」に変わっていた。S.63年当時の温泉分析表と見比べると、泉温は10℃下がり、湧出量は5分の1となり、PHは9.0台から8.0台になり、泉質まで単純泉になってしまっていた。
そしていつからか、加温源泉を投入する配管が湯船に設置され、それにより、浸かると39℃~40℃程の温かさだったが、ほとんど溢れだしも無いため匂いも良くない。
事の他寂しかったのが、投入口の丸い大岩から2本の源泉が投入されていたのが、片方はほとんど出ず、一方からだけになってしまっていた。
宿の前に建っている慶雲閣の温泉削掘に寄り、蓬莱館の源泉が出なくなっていて裁判をしていると聞いていた。もう和解したという風にも聞いたけど、何だか寂しい。
どうしたって源泉量がこれだけ少なくなって来ていれば、当然循環がはかどらず湯面には汚れの泡が浮いて来る。それを除けて投入口付近に浸かると、湯底に溜まっていた僅かな薄い橙色の固形湯華が舞い上がった。蓬莱館の象徴である湯の花の色までも褪せていた。
源泉投入されている小さな湯船の湯温は冷たく、30度越え程度。この温泉に浸かるのは少し勇気も要ったが、何度か加温槽と交互浴を繰り返す内に慣れ、最後は温泉より温かいシャワーで身体を温めた後は気持ち良く浸かれた。
1500mの引湯距離とこの湯量では、泡も付かなかった。無味無臭の温泉。ただ、板張りの湯底は長年の温泉成分の蓄積で、めのうの様な綺麗な玉虫色で、これだけは変わりなかった。
暖かい季節になると、この木の湯舟と鄙びた静けさに癒されるのであろうか。すっかり夏の温泉に変わってしまっていた蓬莱館。 御主人様のご冥福をお祈りします。
アクセス例:JR見延駅もしくは下部温泉駅より早川町バス(1日4本)で西山温泉下車、すぐ前。
御主人は亡くなられていました
「えっ?!嘘・・」ショックな事を聞きました。予約時の電話の声が御主人では無かったので、御主人はどうされているのかなあ?病院とかも行っていらっしゃったし・・」と思いながら何だか気になり、久々に伺いました。
そうしたら昨年の調度今頃、急性心不全でお亡くなりになられたんだそうでした。持病を持ってはいたがお元気で、お客さんを見送り普通にされていたのに突然だったそうです。
一昨年私は予約を入れ乍ら日にちを変更し、そして結局予定を変更しキャンセルしたのでした。御主人の優しさに甘えた部分もあったかも知れません。あの時の御主人の声を今でも覚えています「いいよ いいよお また来てねー」と。
御主人のお顔が函館の濁川温泉・新栄館の御主人と重なって上手く思い出せませんが、幾つかの思い出の会話を偲ばせて頂きたいと思います。
数年前、蓬莱館に初めて宿泊する日、私は富士駅のホームで身延線の乗り継ぎに失敗し、早川町の最終バスに間に合わなくなり、宿をキャンセルしないと仕方がない事になり電話を入れました。そうしたら「迎えに行くよ。折角来てくれるんだから」と言われ、下部温泉駅まで片道1時間以上の道のりを迎えに来て下さいました。以来御礼の気持ちで連泊した事もありました。
浴室に案内され温泉自慢「山から出た温泉がここへ着くまでにまろやかになってね。飲んでみてね。飲泉の許可が出ている温泉は少ないんだから」ロッカーの上には瓶が並びオレンジ色の湯の花が。パッと見ただけでは何か解らない様な、ちっちゃなみかんゼリーが溜っていた。
浴槽は1つだけど「これが家族で入るのにいいの。介護で入りに来る方がいるからね」と言われ、宿泊客が重なると「お互いで都合付けて入ってよ。どうする?」なんて、客同士に決めさせる呑気さ。
お料理も御主人が作られていて美味しかったな。息子さんが「後を継いでくれたらいいんだけどどうかなあ」と言われていたが、この鄙びた秘境温泉を若者が継ぐ事は難しいと言うより無理だろう。御親戚の方が後を継がれたそうだ。
部屋には宿泊ノートが置いてあり、そこには「30年ぶりに来たけど何も変わっていません」など古いリピーターの声が多く寄せられていた。現在の御主人も「閉めようかと思ったけどずっと来てくれてる方もいるから」と、蓬莱館を継いで行こうと思われたそうで、お一人で奮闘されていた。
2食付きだと1人泊で12000円程に値上がっていたので今回は素泊りにした。6700円程度。布団はセルフで敷く。部屋は以前泊まった時と同じ部屋だった。窓からは、立派な慶雲閣と廃館になっている廃屋の宿が対比の様に見えている。蓬莱館もかなり鄙びているが、当時はそこそこ立派な宿だったのではないだろうかと思ったりもする。
何年かぶりに宿の前に降り立つと、蓬莱館は以前にも増し活気なく古び、寂れきっている様な侘しさを感じた。今思うと、御主人を失ったからだったのだろうか・・この宿は。
驚いた事に温泉が全く「夏のぬる湯」に変わっていた。S.63年当時の温泉分析表と見比べると、泉温は10℃下がり、湧出量は5分の1となり、PHは9.0台から8.0台になり、泉質まで単純泉になってしまっていた。
そしていつからか、加温源泉を投入する配管が湯船に設置され、それにより、浸かると39℃~40℃程の温かさだったが、ほとんど溢れだしも無いため匂いも良くない。
事の他寂しかったのが、投入口の丸い大岩から2本の源泉が投入されていたのが、片方はほとんど出ず、一方からだけになってしまっていた。
宿の前に建っている慶雲閣の温泉削掘に寄り、蓬莱館の源泉が出なくなっていて裁判をしていると聞いていた。もう和解したという風にも聞いたけど、何だか寂しい。
どうしたって源泉量がこれだけ少なくなって来ていれば、当然循環がはかどらず湯面には汚れの泡が浮いて来る。それを除けて投入口付近に浸かると、湯底に溜まっていた僅かな薄い橙色の固形湯華が舞い上がった。蓬莱館の象徴である湯の花の色までも褪せていた。
源泉投入されている小さな湯船の湯温は冷たく、30度越え程度。この温泉に浸かるのは少し勇気も要ったが、何度か加温槽と交互浴を繰り返す内に慣れ、最後は温泉より温かいシャワーで身体を温めた後は気持ち良く浸かれた。
1500mの引湯距離とこの湯量では、泡も付かなかった。無味無臭の温泉。ただ、板張りの湯底は長年の温泉成分の蓄積で、めのうの様な綺麗な玉虫色で、これだけは変わりなかった。
暖かい季節になると、この木の湯舟と鄙びた静けさに癒されるのであろうか。すっかり夏の温泉に変わってしまっていた蓬莱館。 御主人様のご冥福をお祈りします。
アクセス例:JR見延駅もしくは下部温泉駅より早川町バス(1日4本)で西山温泉下車、すぐ前。